秋篠宮様と結婚し皇族に入った紀子様
2人の結婚は国民からはかなり注目されたのでしょうが、今なお良好な関係を築いており昨今の不倫ブームの影響などは全く感じさせないお手本のような夫婦となっていますね^^
しかしそんな紀子様ですが、現在の幸せな夫婦関係からは考えにくいようなネガティブな噂もいくつか出回っているようです
まぁこのような噂は大抵がガセなのでいちいち検証する必要もないのかもしれませんが、ここではネガティブな噂を払拭するためにも、紀子様にまつわるいくつかの噂について見ていきたいと思います^^
秋篠宮様と紀子様の馴れ初めは!?
今上天皇の第二皇男子としてこの世に生を受けた秋篠宮文仁親王とは違い、皇族とは全く関係なく一般人として生まれた紀子様
元の名前は『川嶋 紀子』というそうですが、どこにでもいそうな一般的な名前ですよね^^
そんな紀子様と秋篠宮様が初めて出会ったのは2人が大学生の頃でした
秋篠宮様が学習院大学の書店に立ち寄った際に、店員から「川島教授のお嬢さんです」と紹介されたことが2人の初めての出会いだったのですね
ちなみに秋篠宮様と紀子様は2人とも学習院大学に通っており、紀子様の父親は同大学の名誉教授でした
年齢は1つ違うためおそらく学年も秋篠宮様の方が1つ上だったと思うのですが、とにかくこのような経緯で2人は出会ったということです
その後秋篠宮様は自身で作ったサークルへ紀子様を誘い、2人は色々な土地へ旅行に行き親密になっていったといいます(旅行はサークルの活動です)
どのタイミングで2人が交際を始めたのかは分かりませんが、もしかすると秋篠宮様が一目惚れしたのかもしれません
このようにして2人は同じサークルのメンバーとして親交を深めていったのですが、当時の2人の関係についてある皇族関係者はこのように語っています
お住まいがある赤坂御用地でテニスをされた後はみんなで連れだって外苑のいちょう並木を歩いて青山通りにあるレストランへ夕食を取りにいくこともあったそうです。その途中、並木の暗闇で秋篠宮様と紀子さまが抱き合っていたところを、学友に目撃されたこともありました
これは間違いなく交際していると考えて良いのでしょうが、大胆なことをしますね^^;
秋篠宮様も自身が普通の学生とは違うということを分かってはいたのでしょうが、友達の間ではそれなりに話題になったことでしょう
紀子様とこのようにハグをしたり自身でサークルを作ったりとその行動力には非常に驚かされてしまうのですが、実は秋篠宮様にはもっと驚くべきエピソードがあるのです
それが紀子様に対するプロポーズ
実は秋篠宮様は出会ってまだ1年ほどしか経っていない段階で紀子様に対してプロポーズをしたというのですね
秋篠宮様が紀子様にプロポーズをしたのは紀子様が大学2年生の時であり、まだ当時の彼女は20歳にも達していなかったといいます
その日の2人は何らかのサークルの集いがあり秋篠宮様が紀子様を送っていたそうですが、秋篠宮様は信号を待っている際にいきなり紀子様に対してプロポーズをしたというのですね
当時の紀子様はまだ19歳だったためすぐに返答することは出来ず時間をおいてから返事をするということになったそうですが、これは当然の反応だと思います^^;
まぁ秋篠宮様の妻になるのが嫌ということではなく、皇族との結婚ですから色々と考えなければならなかったのでしょう
当時の紀子様は卒業後は海外の大学院へ進学しようと考えていたとのことですが、Wikipediaによると1989年(平成1年)には結婚が決定したとのことですからおそらくこのプロポーズは受諾したのではないでしょうか?
1989年8月26日、川嶋紀子との結婚内定が報道される。9月12日、文仁親王と川嶋紀子の婚姻に関する皇室会議が開催された。全員一致で2人の婚姻が可決され、婚約が内定。午後から記者会見が行われた。平成改元後初の慶事であり、若々しい2人の結婚は国民から盛大に祝福された。
引用元: 秋篠宮文仁親王 |Wikipedia
まだ20歳ほどの年齢だということや相手が皇族であるということを考えても、紀子様にとってこの決断はかなり大きいものだったのではないでしょうか?
当時のマスコミからは「シンデレラ」ともてはやされたそうですが、本人にとっては相手が皇族だからこそ生まれる悩みもあったことでしょう(-_-;)
紀子様の恋愛遍歴が激しすぎる!?
若い頃に結婚し、今なお夫婦円満として知られている秋篠宮様と紀子様
まぁ当人たちには色々あるのかもしれませんが、少なくとも我々から見れば2人は円満な関係のように見えますよね^^
しかし実はそんな2人の様子からは考えられないようなネガティブな噂も出回っているようです
その噂が「若い頃の紀子様は恋愛遍歴が激しかった」というもの
紀子様には恋愛遍歴が激しいというイメージはありませんし、当然私としては初耳ですが本当なのでしょうか?
気になって調べてみたところどうやらこの噂はかなりの確率で間違いのようです^^
多くの記事で紀子様の恋愛遍歴が激しいという噂を検証していたのですが、どの記事でもこの噂はガセであるという結論を出していました
では一体何故このような噂が出てしまうのでしょうか?
実は噂の原因は紀子様ではなく秋篠宮様の方が奔放な性格だったからではないかと言われているのです
当時の秋篠宮様は割と奔放な性格で、外見的にもどこにでもいそうな普通の大学生でした
口髭がオシャレで何とも今時の大学生という感じですね^^(もちろん『今時』というのは『現在』ではなく『当時』での話です)
『皇族』と聞くとどうしてもお高い人をイメージしてしまいそうにもなるのですが、当時の秋篠宮様にはそのような様子は一切なかったということです
そして当時の秋篠宮様についてはこのようなエピソードが残っています
- ガールフレンドは7人いた
- タバコも吸うしお酒も飲む
- サークルの集まりはスナック
皇族の人が送る大学生活のようには思えませんね^^
まぁ人によっては「これくらい当然だろう」とも思われるかもしれませんが、私としてはもっとお堅い生活を想像していました
そして当然ながら気になるのは最初の「ガールフレンドは7人いた」というところですよね^^
普通に考えれば当時の秋篠宮様は7股していたのか?ということにもなると思うのですが、多くの記事ではこの『ガールフレンド』は『彼女』という意味ではなく『女友達』という意味では使ったのでは?と考察していました
私としても同意見なのですが、これらのエピソードは秋篠宮様自らが明かしていることを考えても7人の彼女がいたということではなく、大学時代には7人の女友達がいたということだと思われます
当時秋篠宮様が創設し紀子様もメンバーとして入っていたサークルは『自然文化研究会』という名前であり、活動内容はテニスやスキーや飲み会などを楽しむというものでした
サークルというよりも単に遊んでいるだけでは?とも思えますが、活動内容を見る限り女性でも参加できそうなものですよね^^
さらに紀子様は秋篠宮様が誘いサークルに入会したとのことですが、さすがに紀子様もメンバーに女性がいなければ入会しなかったことでしょう
このような点から考えても秋篠宮様が創設した『自然文化研究会』というサークルは女性も多く在籍していたと思われます
そして秋篠宮様がガールフレンドと呼んだ多くの女性はこのサークルのメンバーなのではないでしょうか?
ちなみに当時のサークル仲間と共に写った写真として以下のようなものがあります
これはおそらくサークルのメンバーと共に旅行に行った際の画像なのでしょうが、秋篠宮様の横にはしっかりと紀子様の姿がありますね
このような画像を見る限り秋篠宮様と紀子様の関係は誰もが知るものだったのでしょうから、秋篠宮様も紀子様一筋だったのではないでしょうか?
そしてこのように自由奔放な秋篠宮様と比べて紀子様の方はそれほど浮ついた噂もなく、交際した相手として知られているのも秋篠宮様1人だけです
まぁ紀子様は幼い頃は海外で過ごした期間も長いということですから、それほど情報はないのでしょう
しかし大学生の段階で結婚を決意し、その後夫婦として浮ついた噂もない紀子様ですから、おそらく男性遍歴が激しいなどという噂は完全なるガセなのではないでしょうか?
紀子様は過去に堕胎している!?
当記事の最後には以前から根強く囁かれている紀子様の堕胎疑惑について見ていきましょう
驚いた方も多いかもしれませんが、実は紀子様には堕胎疑惑がかかっておりそれも結婚前と結婚後の2つの疑惑があるのですね
まずは結婚前の堕胎疑惑についてから見ていきましょう
非常に複雑な構造となっているのですが、実はこの結婚前の堕胎疑惑にも2つの種類があるのです
その疑惑が秋篠宮様との間に授かった子供と、秋篠宮様ではない一般男性の間に授かった子供というもの
まずは秋篠宮様との間に子供を授かったという説について見ていきましょう^^
紀子様が秋篠宮様との間に授かった子供を堕胎したという説にはいくつかの噂が浮上しています
その噂がこちら
- 「紀子様は2度堕胎された」と目白か高田馬場近くの医師が話していた
- 結婚を早急にしなければならなくなったため昭和天皇の喪中にも関わらず婚約会見を開いた
- 紀子様の堕胎について紀子様の父親である川嶋教授が両陛下に一言申し上げたことで結婚が決まった
気になるのは下の2つの噂ですね^^
1つ目の噂には大して信憑性もないような気がしますが、2つ目と3つ目については気になるところがあります
まずは2つ目の「昭和天皇の喪中にも関わらず・・・」という噂ですが、本当にそうであれば婚約会見後すぐに子供を産んでいたのではないでしょうか?
ちなみに秋篠宮様と紀子様の第一子となる眞子内親王が誕生したのは1991年10月23日であり、2人の納采の儀が行われたのは1990年1月12日のことでした(納采の儀:皇族が結婚するにあたって行われる皇室の儀式のひとつ)
2人の婚約会見が行われたのは確かに昭和天皇の喪中だったようですが、そもそも本当に子供を授かったことにより焦って開いたのであればわざわざ堕胎する必要はないでしょう
確かに2人がまだ結婚もしていないにも関わらず子供を授かり堕胎していた可能性もありますが、もしそうであったとしても婚約会見のタイミングが早いというのは何の根拠にもなりません
ということで2つ目の噂はガセである可能性が高いような気がします
そして3つ目の「紀子様が堕胎したことについて・・・」という噂ですが、これもおそらくガセではないでしょうか?
2人の結婚内定が報道されたのは1989年8月のことでしたが、先ほども見たように秋篠宮様が紀子様にプロポーズしたのは1987年6月(当時紀子様は大学2年生)のことですから、プロポーズから結婚内定にあまりにも期間がありすぎます
もちろん紀子様が結婚を渋り2年ほどの間が空いたということも考えられるかもしれませんが、大学時代の秋篠宮様は両親である現在の天皇陛下らに紀子様を紹介していたとも言われているので2人の結婚が堕胎によって決まったというのは考えにくいような気がします
もし本当に紀子様と秋篠宮様が早々と子供を授かり結婚との順序が逆だということになればかなり皇室は慌てることになったのでしょうが、秋篠宮様もその辺りのことはきちんと考えていたと思います
また紀子様が結婚前に秋篠宮様以外の男性と関係を持ち、堕胎に至ったという説ですが、この説には全くと言っていいほど根拠がありません
おそらく紀子様に囁かれている堕胎の噂に尾ひれがつき、このような噂も浮上してしまったのではないでしょうか?
現在分かっている限りでは紀子様の交際相手は秋篠宮様しかいませんし、交際の噂もないのに堕胎の噂だけ出ていることを考えてもやはり信用できる噂ではありませんよね?
それでは最後に結婚後に紀子様が堕胎したという噂について見ていきましょう^^
先ほども少し書きましたが紀子様と秋篠宮様の間には1991年10月23日に眞子内親王が、そして1994年12月29日には佳子内親王が誕生しています
結婚後それほど間をおかずに子供を産んだ紀子様でしたが、皆さんもご存知のように第三子である悠仁親王が誕生したのは2006年9月6日となっているのですね
実に佳子様とは12歳差ということになるのですが、どうやらこの年齢が噂の原因のようです
というのも眞子様と佳子様は3歳差であるにも関わらず、佳子様と悠仁様は12歳も離れているのはどう考えてもおかしいような気がしますよね?
そのため世間では「子供の産まれなかった12年間では実は子供を産み分けて中絶していたのでは?」という噂が流れてしまったのです
1人目と2人目が女の子だったため当然ながら第三子は「絶対に男の子!!」と願っていたのでしょうが、そのためにお腹の中の子が女の子だと分かると中絶して産まない決断をしたのでは?ということですね
この推測はかなり鋭いもののような気がしますが、おそらく外れていると思います
というのも中絶できる期間は妊娠22週目までだと決められているからです
しかし胎児の性別は早い場合では20週目くらいで分かることもありますが、遅い場合は30週を過ぎてやっと分かることもあります
また12週を超えてからの中絶は人工的に陣痛を起こして流産させるため母体にはかなりの影響が出るというのです
そのため男の子が欲しいがゆえに何らかの産み分け作業は行っているのかもしれませんが、授かった子供を中絶したというのは考えにくいと思います
それでは何故12年も間が空いたのか?ということですが、その理由は未だに分かっていません
普通に考えれば2人の間にはまだ男児が誕生していないわけですから、男児を切に願うものだと思うのですが、不思議なことに出産を焦っていなかったのでしょうか?
しかしもしそうだとすれば12年も経ってから出産するというのもおかしいような気がします
ネット上の記事の中には12年間も空いた理由は紀子様が男の子を産むタイミングを見計らっていたのでは?という記事もありましたが、私としてもこの説明が最もしっくりきます
とは言えもしそうであれば12年間も空ける必要はないのですから、それでもこの空白の12年間は謎ですよね?(-_-;)
記事の書き手としては申し訳ないのですが、佳子様誕生から悠仁様誕生まで12年間も空いた理由は未だに分かっていません