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人間である以上は誰もが自分が「愛されている」というふうに感じていたいものだと思うのですが、それでも私が思うには自分が愛されていると感じたければまずは自分が他者のことを無条件で愛さなければならないことだと思うのです

なぜなら我々人間にとって他者の気持ちは絶対に分からないからであり、我々人間は「自分は愛されている」というふうに感じることはできるものの、それでも厳密には他者が自分のことを愛してくれているのかどうかなど分からないものだと思うのですね

これは以前から私が当サイトで何度も繰り返し主張していることなのですが、我々人間は厳密には他者の気持ちは絶対に分からないことから他者の気持ちを覗いて見ることはできず、他者の気持ちは「想像する」ことしかできないのです

もちろん時には他者の気持ちが限りなく正確に分かることもあることだと思うのですが、それでも厳密には他者の気持ちが本当の意味で分かることはないことからそれらは「想像」という域を超えることはできないのですね

そのような経緯から考えるに我々人間は誰もが「人から愛されたい」とは思っているものの本当の意味で自分が愛されているかどうかなど分かることはなく、「他者は自分のことを愛してくれている」というふうに他者の気持ちを想像することはできたとしても、本当の意味で他者が自分のことをどう思っているのかなどは分からないものであるということなのです

そしてそのような理由から私は自分が「愛されている」というふうに感じたければ、まずは自分が他者のことを無条件で愛することができなければならないというふうに主張しているのですね^^

まぁ現時点では私が主張したい内容がいまいちよく分からないという方も多いかもしれないのですが、今回の記事ではそんな『まず自分が他者を無条件で愛さなければならない』というテーマについて見ていきたいと思います^^

愛されていると感じるためにはどうすればいいのか?

皆さんのなかには現時点で「自分は誰からも愛されない存在である」「自分は誰からも見下され蔑まれる存在である」などというふうに強い劣等感に苛まれてしまっているという方もいるかもしれないのですが、私が思うにはこのような強い劣等感に苛まれてしまっているという方の多くは人生が非常につらいものとなっているのではないかと思うのですね

やはり人間である以上は誰もが自分に自信を持ちながら生きていたいものだと思うのですが、それでもなかには自分に価値を感じることができず「自分は誰からも愛されない存在なんだ」などというふうに思ってしまう方もいるのではないかと思うのです

まぁこれがいわゆる『劣等感』というものだと思うのですが、それでは現時点でこの劣等感というものを感じてしまっているという方はその劣等感から解放されるためには一体どうすればいいのでしょうか?

もしかすると皆さんのなかには「劣等感から解放されるためには優れた人間になるしかない!」というふうに考えられている方もいるかもしれないのですが、個人的には正直この考え方には反対なのですね

要は現時点で「自分は価値がない人間である」「自分は誰からも注目されない惨めな存在である」などというふうに考えてしまっているということから、逆に優れた人間になり誰からも称賛されるような存在になれば「自分は価値がある人間なんだ!」「自分は多くの人から注目される特別な存在なんだ!」などというふうに思えるようになることから劣等感から解放されることができるようになるというふうに考えられているのではないかと思うのです

しかし前述したように私はこのような考え方には反対であり、その理由としては「努力で改善することができることには限度があるから」というものや「人から称賛されることばかりを求めた人生を歩むことになるから」などというものがあるのですね

まずは1つ目の「努力で改善することができることには限度があるから」というものから見ていきたいと思うのですが、確かに現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方も自分が優れた人間になり多くの人から称賛されるような立場になることができれば自分に価値を感じることができるようになるかもしれないのですが、それでも我々人間には努力によって改善することができるものには限度があるのではないかと思うのです

例えば頭の良さや身体能力、容姿やスタイルなどの多くは先天的に決まっており後天的に努力によって変えることは難しいことからこのようなものが原因で強い劣等感に苛まれてしまっているという場合、これらの要素を努力によって改善することは難しいことから「優れた人間になる」ということで劣等感を払拭しようとしても払拭することができないということになってしまうのではないかと思うのですね

また続いては2つ目の「人から称賛されることばかりを求めた人生を歩むことになるから」というものについて見ていきたいと思うのですが、現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方は人から称賛されていたりちやほやされている人を見ると強い嫉妬心や劣等感を感じてしまうことになるのではないでしょうか?

その理由は『人から称賛される人間=価値がある人間、愛される人間』『人から称賛されない人間=価値がない人間、愛されない人間』というふうに考えているからであり、そして現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方の多くはこのうち自らを『人から称賛されない人間(=価値がない人間)』の1人であるというふうに考えているのではないかと思うのですね

そしてこのように考えていると『人から称賛されること=価値がある人間であるという証拠』というふうに考えるようになってしまうことから、「人から称賛されたい!」という欲求があまりにも強くなり常に人から称賛されることばかりを求めるようになってしまうのではないかと思うのです

しかしこれは非常に当たり前の話なのですが、やはり我々人間は『人から称賛されること』ではなく自分の好きな人生を歩むことを第一に考えなければならないのではないかと思うのです

やはり誰もが本当に自分が満足することができるような人生を歩むことが最も大切だと思うのですが、それでも『人から称賛されること』を過剰に求めるというタイプの方は『自分が送りたいと思う人生を送ること』よりも『人から称賛されるような人生を送ること』ばかりを求めるようになってしまうのではないかと思うのですね

その結果このようなタイプの方は常に「人から称賛されるためにはどうすればいいのか?」「人から良く思われるためにはどうすればいいのか?」などということばかりを考えるようになり、最終的に自分の人生からどんどん自由が失われてしまうことになるのではないかと思うのです

そのような経緯から私は「優れた人間になることによって劣等感から解放される」という考え方には反対なのですが、それでは現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方がその劣等感から解放されるためにはどうすればいいのでしょうか?

それが私が思うに『無条件の愛』を感じることなのではないかと思うのですね^^

この『無条件の愛』という言葉はあまり聞き慣れないものかもしれないのですが、その内容については次章でじっくりと見ていきたいと思います^^

劣等感から解放されるためには『無条件の愛』を感じる必要がある?

現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方がその劣等感から解放されるためには私が思うには『無条件の愛』を感じることができるようにならなければならないのではないかと思うのです^^

それではこの『無条件の愛』とは一体何なのかということなのですが、その内容は文字通りであり「無条件で自分は愛されているというふうに感じること」となっているのですね

要は自分が無条件で他者から愛されており大切にされているというふうに感じることができるようにならなければならないということなのですが、私が思うに劣等感に苛まれてしまっているという方は『条件付きの愛』を感じることはあっても『無条件の愛』を感じることはないのではないかと思うのです

それでは『条件付きの愛』と『無条件の愛』は一体何が違うのかということなのですが、これもまた文字通りであり前者が「条件付きで愛を感じること」であり後者が「無条件で愛されていると感じること」となっているのですね

しかしここで気になるのは「条件付きの愛って一体何なの?」ということだと思うのですが、それが『優れている人間=価値があり愛されるべき存在である』という考え方のこととなっているのです

要は『条件付きの愛』を感じているという方は優れている人間や人から称賛される人間のみが愛されるべき存在であるというふうに考えており、その一方で優れていない人間や誰からも称賛されない人間は価値がなく愛されない存在であるというふうに考えているのですね

そのような経緯から考えるにこのような『条件付きの愛』を感じているというタイプの方は「身体能力が高くアスリートとして活躍している人間は愛されるべき価値がある存在であると言える」「容姿が整っており多くの異性からモテる人間は愛されるべき価値がある存在であると言える」「タレントとして活躍しており多くの人からちやほやされるような人間は愛されるべき価値がある存在であると言える」などというふうに『優れている人間、人から称賛されるような人間=価値があり愛されるべき存在』というふうに考えているということなのです

その結果このようなタイプの方は『優れている人間=愛されるべき存在』『優れていない人間=愛されない存在』というふうに考えることになるのですが、この「優れている人間のみが愛される」という考え方こそがまさに『条件付きの愛』という考え方になっているのですね

それでは逆に『無条件の愛』とは一体どのようなものなのかということなのですが、それが『誰もが無条件で愛されるべき存在であると言える』という考え方となっているのです

先ほどの『条件付きの愛』の考え方は「優れている人間のみが愛される」というものだったのに対して、『無条件の愛』の考え方は「誰もが愛されるべき存在であると言える」という考え方となっているのですね

これはまさに文字通りであるため皆さんも意味は容易に理解してくれることだと思うのですが、要は我々人間は誰もがただ人間であるというだけで価値があり、愛されるべき存在であるということなのです

そして皆さんが仮にこの価値観を持つことができるようになれば例え自分の能力や容姿、社会的地位などに自信を持つことができなくとも、例え自分が優れている人間であると思えなくとも「自分は愛される価値がある存在である」というふうに思うことができるようになるということなのですね

私が思うには現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方がその劣等感から解放されるためにはこの『無条件の愛』を感じることができるようにならなければならないことだと思うのですが、この価値観を手に入れることができれば無条件で自分を「愛されるべき存在である」というふうに思うことができるということなのです

そして現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方はぜひこの価値観を新たに身に付けてほしいというふうに思っているのですが、それでも仮に皆さんがこの価値観を身に付けたければ自分が「愛されている」というふうに感じるだけでなく自らもまた他者を無条件で愛さなければならないことだと思うのですね

仮に皆さんが他者を無条件で愛することができずに他者を極端に機能で評価して「この人は誰からも見下される存在だろう」「この人は価値のない人間だ」などというふうに心のなかで見下したりバカにしたりしていれば皆さんもまた自らに関して「愛されている」などというふうに感じることはできないことだと思うのです(機能=特定の能力や容姿、社会的地位や年収など)

まずは自分が他者を無条件で愛する

ここまで劣等感を払拭するためには無条件で自らが愛されているというふうに感じなければならないということについて見ていったのですが、ここで重要なのは我々人間は「愛されている」というふうに他者の気持ちを想像することはできたとしても実際に他者が自分のことを愛してくれているかどうかは分からないということなのです

これは以前他の記事でも書いたのですが我々人間は基本的には自分以外の人間の気持ちが分かることはなく、他者の気持ちは「想像する」ことしかできないのですね

例え相手が親であろうとも兄弟であろうとも祖父母、配偶者、親友、恋人であろうとも他者の気持ちが本当の意味で分かることはなく我々人間は常に他者の気持ちを「想像する」ことしかできないのです(他者の気持ちを限りなく正確に推測することができることもあるのですが‥‥)

そのような経緯から考えるに我々人間は他者の気持ちを「自分を愛してくれている」というふうに想像することはできたとしても、本当の意味で他者が自分のことを愛してくれているのかどうかは絶対に分からないのですね

そのため皆さんが『無条件の愛』を感じることができるようになるためには実際に他者が自分のことをどのように考えているのか分かっていなくとも、それでも「この人は自分のことを愛してくれている」というふうに他者のことを信頼することができるようにならなければならないということなのです

ここは非常に大切な部分であるため詳しく見ていきたいと思うのですが、我々人間は自分が「愛されている」というふうに感じる際にも厳密には本当に他者が自分のことを愛してくれているかどうかは分かっておらず、「この人は自分のことを愛してくれている」というふうに想像することしかできないということなのですね

そのため皆さんが『無条件の愛』を感じることができるようになるためには「他者は自分のことを無条件で愛してくれる存在である」というふうに他者に対して「自分のことを愛してくれる」というふうに信頼を寄せなければならないのですが、ここで重要になってくるのが「自分もまた他者を無条件で愛さなければならない」ということなのです

それでは一体なぜ自らもまた他者を無条件で愛さなければならないのかということなのですが、その理由は「自分が他者を無条件で愛していないにもかかわらず、他者が自分のことを無条件で愛してくれるというふうに考えることなどできないから」となっているのですね

これは非常に当たり前の話なのですが、仮に皆さんが他者を極端に機能で評価し、自分以外の人間を心のなかで見下していたりバカにしていたとしたらはたして皆さんは自らが無条件で愛されていると感じることができるでしょうか?

例えば皆さんが自分よりも劣っていると思った人や下だと思った人に対して「こいつは俺よりも下だから理不尽な態度をとってもいい」「この人は価値のない人間だから見下してもいい」などというふうに考えている場合、はたして皆さんは自らが無条件で愛されていると感じることができるでしょうか?

残念ながら私が思うには無理だと思うのですね

なぜなら皆さん自身が他者を無条件で愛していないにもかかわらず、他者が自分のことを無条件で愛してくれるなどと思えるわけがないからなのです

自分は他者を極端に機能で評価し「こいつは自分よりも下だ」「こいつは価値のない人間なんだ」などというふうに他者のことを見下したりバカにしたりしているにもかかわらず、自分以外の人間に関してだけ「自分のことを無条件で愛してくれている」などというふうに思えるわけがないのですね

自分が無条件で他者を愛し大切にすることができるからこそ、逆に他者に関しても「自分のことを愛してくれている」というふうに気持ちを想像することができるということなのです

何度も繰り返すようですが我々人間は他者の気持ちが本当の意味で分かることはなく、どこまでいっても「想像する」ことしかできないのですね

そして私が思うにその『想像』は自分の価値観をベースにされるものだと思うのです

自分が「人間はお互いに無条件で愛しあうものである」というふうに思えていると他者に関しても「この人は自分のことを愛してくれているんだ」というふうに気持ちを想像することができ、その一方で自分が「人間はお互いに無条件で愛しあうものではなく、優れている人間のみが愛されるんだ」というふうに思っていれば他者に関しても「誰もが優れている人間のことしか愛さないんだろう。そのため俺のことを愛してくれる人なんていないんだ」というふうに想像することになってしまうということなのですね

そのような経緯から考えるに仮に皆さんが無条件で「自分は愛されている」というふうに感じたいというのであれば、まずは自分が他者を無条件で愛し大切にするべきなのではないかと思うのです

そして皆さんが他者を無条件で愛し大切にすることができるようになれば、逆に他者に対しても「自分のことを無条件で愛してくれる存在である」というふうに考えることができるのではないかと思うのですね

大切なのは自らが無条件で愛されているというふうに感じたいのであれば、まずは皆さんが他者のことを無条件で愛することが必要になるということなのです

他者を「無条件で自分のことを愛してくれるものである」というふうに考えるのか、それとも「優れた人間のことしか愛さないものである」というふうに考えるのかは皆さんの自由だと思うのですが、それでも皆さん自身が他者を無条件で愛さないにもかかわらず自分だけが「無条件で愛される存在である」などというふうに考えるのは無理であるということなのですね^^

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