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皆さんのなかにも現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方がいるかもしれないのですが、私が思うにそのような方の多くは「自分のことを好きになる」というふうに聞くと「優れた人間になる」という意味であるというふうに感じることになるのではないかと思うのですね

要は現時点で自分が強い劣等感を感じてしまっている理由は「自分は劣った存在である」というふうに感じているからであることから逆に優れた人間になれば自分のことを好きになることができるというふうに考えているのではないかと思うのですが、私が思うに現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方のなかには例え優れた人間になれたとしても依然として自分のことを好きになることができないという方も多いのではないかと思うのです

現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方は「俺は足が遅いから」「私は生まれつき顔立ちが整っていないから」「俺は頭が悪く年収も低いから」などという理由で自らに価値を感じることができず劣等感に苛まれてしまっているというふうに感じているのではないかと思うのですが、そのような経緯から考えると「優れた人間になれば自分のことを好きになれる!」という考え方は非常にもっともらしい気もすることだと思うのですね

しかしそれでもやはり私は現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方の多くは例え優れた人間になれたとしても本当の意味で自分のことを好きになることはできないのではないかと思うのです

この時点では私が主張したいことの内容がまったく分からないという方も多いかもしれないのですが、詳しい内容については本章でじっくりと見ていこうと思うため、ぜひこのまま読み進めてみてください^^

優れた人間になったとしても自分のことを好きになることはできない?

現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方も皆さんのなかにはいるのではないかと思うのですが、そのような方が考えるのが「優れた人間になれば自分のことを好きになれる」ということなのではないかと思うのですね

例えば現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方は「俺は足が遅く運動神経も悪いから自分のことを好きになることができない」「私は生まれつき容姿が悪く異性からもまったくモテなかったから自分のことを好きになることができない」「俺は頭も悪く年収も低いことからそんな自分のことを好きになることができない」というふうに自らに関して「優れた人間ではない」という認識を持っているからこそ、自分のことを好きになることができないというふうに考えられているのではないかと思うのです

そのような経緯から考えるにこのようなタイプの方は『優れている人間=自分のことを好きになることができる』『優れていない人間=自分のことを好きになることができない』というふうに考えることになるのではないかと思うのですが、それでも私が思うにはこのようなタイプの方のなかには優れた人間になれたとしても結局自分のことを好きになることができないという方も多いのではないかと思うのですね

例えば現時点で「俺は生まれつき運動神経が悪く体育の授業や運動会でも常に悪い意味で目立ってしまう存在だった!俺はそんな自分のことが嫌いなんだ!」というふうに考えている方がいるとしましょう

この男性は自分の運動神経が悪いことに対して強い嫌悪感を抱いており、その運動神経の悪さが原因で自分のことを好きになることができていないというふうに考えているのですが、それでは仮にこの男性が運動神経が良くなることができた場合この男性は自分のことを好きになることができるのでしょうか?

私が思うに実はその可能性は意外と低いのではないかと思うのですね

もちろんなかには実際に運動神経を改善することができれば自分のことを好きになることができるという方もいるとは思うのですが、それでもその一方で仮に運動神経を改善することはできたとしてもそれでも依然として自分のことを好きになることができないという方も一定数いるのではないかと思うのです

もちろん現実的に考えれば運動神経の良さというのは先天的なものであることから後天的に変えることは基本的にはできないということになるのですが、ここで分かってほしいのはこのように現時点で自分の劣等感の原因となっている部分を改善することができたとしても依然として自分のことを好きになることができないケースは多いということなのです

例えば現時点で自らの運動神経の悪さに強い嫌悪感を感じておりそんな運動神経の悪さが原因で強い劣等感に苛まれてしまっているという方が何らかの魔法のような方法で運動神経を改善することができたとしましょう(もちろん現実ではありえない話なのですが‥‥)

その男性は当然ながら長年劣等感の原因となっていた運動神経を改善することができたのですからその瞬間は非常に嬉しい気分になることができることだと思うのですが、それでもそれがきっかけで必ずしも自分のことが好きになることができるのかと言われれば決してそのようなわけではないのではないかと思うのですね

なぜなら次は別の部分が原因で強い劣等感に苛まれてしまう可能性が高いからなのです

例えばこれまでは運動神経の悪さが原因で強い劣等感を感じていたものの、その運動神経が改善すると次は「俺は容姿が悪く女性からモテないから自分が嫌いだ」「俺は汗っかきで体臭がきつい自分が嫌いだ」「俺は面白い話をすることができず場を沈黙させてしまう自分が嫌いだ」などというふうに次から次へと自分の嫌いな部分が目についてしまう可能性があるからなのですね

要はこのように特定の能力や容姿などを改善することができたとしても、また別の自分の欠点や他者よりも劣っている部分が気になり「この部分が原因で自分のことが好きになれない!」「俺は〇〇だから自分のことが嫌いだ!」などというふうに嘆くことになってしまう可能性があるということなのです

現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方のなかには特定の部分が原因で劣等感を感じていると考えており、その部分が改善すれば劣等感からは解放されることができるというふうに考えられている方もいるかもしれないのですが、私が思うにはそれはただの思い込みであり実際には違う可能性も高いのではないかと思うのですね

現時点で特定の能力や容姿、スタイルや身長などが原因で劣等感に苛まれてしまっているという方はその部分が改善されれば自分は劣等感から解放されるというふうに考えられてるかもしれないのですが、本当にそうなのか今一度よく考えてみてほしいのです

私が思うに確かにそのような自分の劣等感の原因となっている部分が改善すれば自分のことを好きになることができるという可能性はあるものの、その一方で例えその部分を改善することができたとしても自分のことを好きになることができない可能性も十分にあるのではないかと思うのですね

そのような経緯から考えるに現時点で特定の部分が原因で劣等感を感じてしまっているという方はその部分が自分の劣等感の原因であるというふうに考えられているのではないかと思うのですが、実際には皆さんの劣等感の最大の原因はその部分ではなく他の部分にある可能性もあるのではないかと思うのです^^

次から次へと自分の嫌いな部分が目に付くことになる?

現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方のなかには「この部分が変われば自分のことを好きになることができるのに!」というふうに考えられている方もいるのではないかと思うのですが、私が思うにはこのように考えているという方の多くは実際にその願いが叶い自分の劣等感の原因となってる部分が改善されたとしても依然として強い劣等感に苛まれることになってしまうのではないかと思うのです

例えば現時点で「俺は自分の顔立ちが気に入らないんだ!もっとイケメンに生まれてこれればよかったのに!」というふうに自らの容姿が悪いことで悩んでいるある男性がいるとしましょう

この男性は自らの容姿が悪いことが原因で「自分は価値がない人間なんだ!」「自分は誰からも蔑まれる惨めな存在なんだ!」というふうに劣等感を感じているというふうに考えているのですが、それではこの男性の前に魔法使いのような存在が現れてこの男性の顔をイケメンなものへと作り替えたとしましょう(もちろん現実ではありえない話ですが‥‥)

するとこの男性は自らの容姿が変わったことにより最初のほうは「俺はイケメンになることができた!これで俺も自分のことが好きになれる!」というふうに喜んでいたのですが、それでも次第に再び自分に対して嫌悪感を感じるようになってきたのですね

なぜならこれまでは自分の容姿が気に入らなかったことから「イケメンになれさえすれば俺は自分のことを好きになることができるのに!」というふうに思っていたものの実際にイケメンになってしまうと確かに顔が変わった瞬間は気分が良かったものの、次第にそれ以外の部分に嫌悪感を感じるようになってきたからなのです

例えば「俺は運動神経が悪いから自分のことが嫌いだ!」「俺は頭も悪く年収も低いから自分のことが嫌いだ!」「俺は昔から汗っかきで体臭がきついから自分のことが嫌いだ!」などというふうに次第に別の欠点が気になり自らのことが嫌いであるというふうに考えることになるのではないかと思うのですね

もちろん実際に望み通りにイケメンになれさえすえばそれだけで自分のことが好きになることができるという方も一定数はいることだと思うのですが、その一方で容姿を改善することができたとしてもそれでも次は他の欠点が気になり、その部分が原因でまた劣等感に苛まれてしまうという方もいるのではないかと思うのです

実際に現時点でこの記事を読んでくれている方のなかには「確かに自分は特定の部分を改善することができたとしても、また別の部分が原因で劣等感を感じてしまうだろうな」というふうに思われている方もいるのではないかと思うのですが、大事なのは優れた人間になることができたとしても必ずしも劣等感から解放されるわけではないということなのですね

現時点で劣等感に苛まれているという方のなかには「もっと顔立ちが整えば‥‥」「もっと運動神経が良くなれば‥‥」「もっと頭が良くなれば‥‥」「もっと社会的地位が高くなり年収が高くなれば‥‥」などというふうに考えられている方も多いのではないかと思うのですが、大事なのはこのような考え方は勘違いである可能性も大いにあり実際にこのような願望が叶ったとしても自分のことを好きになることができない場合もたくさんあるということなのです

実際に現時点で自らの特定の部分が原因で劣等感に苛まれてしまっているというふうに考えられている方は多いのではないかと思うのですが、それでも実際に皆さんが現時点で「こんなふうになりたい!」と憧れるような優れた能力や容姿を手に入れているものの、それでも強い劣等感に苛まれているという方もいるのではないかと思うのですね

例えば現時点で「イケメンになりたい!」というふうに強く思っており「イケメンになることができれば自分のことを好きになることができるのに!」というふうに考えている方は一定数いることだと思うのですが、それでも日本中を探せばイケメンではあるものの自分に自信を持つことができずに強い劣等感に苛まれてしまっているという方はたくさんいるのではないかと思うのです

「イケメンになりたい!」というふうに考えられているという方は『イケメンになる=自分のことを好きになることができる』というふうに考えていることだと思うのですが、それでも実際にはイケメンな人の誰もが自分のことが好きなのかと言われれば決してそのようなことはなく、イケメンではあるものの自分に自信を持つことができず自分が嫌いだというふうに考えているという方はたくさんいるのではないかと思うのですね

そしてこれは他の部分においても同様のことが言え例えば「もっと運動神経が良くなれば自分のことを好きになることができるのに!」というふうに考えられている方もいることだと思うのですが、それでも日本中を探せば運動神経が良く足も速いもののそれでも自分に自信を持つことができずに強い劣等感に苛まれてしまっているという方もたくさんいるのではないかと思うのです

このように現時点で『運動神経が良くなる=自分のことを好きになることができる』『頭が良くなる=自分のことを好きになることができる』『社会的地位が高くなる=自分のことを好きになることができる』というふうに考えられている方はたくさんいるのではないかと思うのですが、ここで重要なのはこのような考え方は自分の思い込みであり実際には違う場合もあるということなのですね

逆に現時点で「俺は生まれつき顔立ちが整っていないから自分のことを好きになることができない!」などというふうに考えられている方は自分の周りを見渡してほしいのですが、自分の周囲は誰もが『容姿が悪い=自分のことを好きになれず劣等感を感じている』という状態になっているのでしょうか?

要はこのようなタイプの方は「容姿が悪い=自分のことを好きになれない」というふうに考えているのですが、それでも自分の周囲を見渡してみれば例え顔立ちが整っておらず異性からはモテないもののそれでも自分にしっかりと価値を感じており劣等感とは無縁に生きることができているという方はたくさんいるのではないかと思うのですね

そしてこれも他の部分に関しても同様のことが言え『運動神経が悪い=自分のことを好きになれない』『頭が悪い=自分のことを好きになれない』『社会的地位が低い=自分のことを好きになれない』という構図は必ずしも誰においても成り立つものではなく、なかには運動神経が悪くとも頭が悪くとも社会的地位が低かろうとも劣等感とは無縁であり自分に価値を感じることができているという方はたくさんいるのではないかと思うのです

大事なのは現時点で「こうなれば自分のことを好きになることができる!」という考えも「今の自分は〇〇だから自分のことを好きになることができない!」という考えも間違いである可能性があるということなのですね

容姿を例に考えれば「俺はイケメンになれば自分のことを好きになることができる!」という考えも「俺は容姿が整っていないから自分のことを好きになることができない!」という考えも間違いである可能性があるということなのです

もちろんこの考え方が正しく実際にイケメンになれば自分のことを好きになることができるという可能性もあるのですが、その一方で例えイケメンになれたとしても自分のことを好きになることができないという可能性もあるのですね

逆に「自分はイケメンじゃないから自分のことを好きになることができない!」、すなわち「自分の顔立ちが整っていない限りは自分のことを好きになることができない」という考え方も間違いである可能性があるということなのです

大事なのは今の自分の考え方が勘違いであり例え特定の能力や容姿を改善することができなくとも、それでも自分のことを好きになることができる可能性があるということなのではないかと思うのですね^^

今の自分を受け入れる

現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方は自分の能力や容姿、社会的地位などに自信を持つことができず「自分は価値のない人間なんだ」「自分は誰からも蔑まれる惨めな存在なんだ」などというふうに感じてしまっていることだと思うのですが、そのような経緯から考えるに「優れた人間になれば自分のことを好きになることができる!」というふうに考えるのは当然のことであると言うことができるのではないかと思うのですね

このようなタイプの方は「もっと身体能力が高ければ‥‥」「もっと容姿が整っていれば‥‥」「もっと頭が良ければ‥‥」「もっと社会的地位が高ければ‥‥」などというふうに考えられているのではないかと思うのですが、それでも実際にはこのような自分の劣等感の原因と思われるものを改善することができたとしても依然として自分のことを好きになることができないという方は一定数いるのではないかと思うのです

そのような方は例え特定の部分が改善されたとしても次はまた別の欠点や他者よりも劣っている部分が気になり「自分のこんな部分が嫌だ!だから俺は自分のことが嫌いなんだ!」というふうに嘆くことになるのではないかと思うのですね

まぁこのように例え優れた人間になれたとしても依然として自分のことを好きになることができないという方は一定数いるのではないかと思うのですが、これは裏を返せば「優れた人間にならなくとも自分のことを好きになることができる可能性がある」と言うこともできるのではないかと思うのです

なぜなら優れた人間になっても劣等感から解放されないというのであればそれは劣等感の原因が「劣った人間であること」ではなく他の部分にある可能性があるからなのですね

それでは現時点で自分の特定の欠点や他者よりも劣ってる部分が原因で強い劣等感に苛まれてしまっているというタイプの方はどうすればその劣等感から解放されることができるのでしょうか?

私が思うに現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方にとって重要なのは、「優れた人間になること」ではなく「今の自分を受け入れること」なのではないかと思うのですね

現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方は自らの特定の部分が原因で「自分は価値がない人間なんだ」「自分は誰からも蔑まれる惨めな存在なんだ」などというふうに考えられているのではないかと思うのですが、しかし私が思うにはこのような考え方は大抵の場合が思い込みなのではないかと思うのです

皆さんもよく考えてみてほしいのですが、同じような欠点を持っていながらもその欠点が原因で強い劣等感に苛まれてしまっているという方もいればその一方でまったく劣等感など感じていないという方もいるのではないかと思うのですね

例えば現時点で自らの顔立ちに関して強い嫌悪感を抱いており「俺みたいなブサイクな人間は人間としての価値がなく誰からも見下され蔑まれる存在なんだ!」というふうに考えている男性がいるとしましょう

この男性は自らの容姿が原因で劣等感を抱いているというふうに考えているのですが、それでも分かってほしいのは世の中にはこのように自らの容姿が原因で強い劣等感に苛まれているという方もいればその一方で確かに容姿は整っていないもののそれでも劣等感はまったく感じていないという方もたくさんいるということなのですね

ここで皆さんに分かってほしいのは同じ『容姿が整っていない』という部分を持っていながらもそれが原因で強い劣等感に苛まれてしまっているという方もいれば、その一方でまったく劣等感は感じないという方もいるということなのです

そして私が思うに現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方は前者のタイプであり、このようなタイプの方は自らの欠点や他者よりも劣っている点が原因で劣等感に苛まれてしまっているのではないかと思うのですが、大事なのはそのような欠点や他者よりも劣っている部分を持っているイコール劣等感を感じるというわけではないということなのですね

現代の日本には容姿が整っていない方も、運動神経が悪い方も、頭が悪い方も、社会的地位が低い方もたくさんいることだと思うのですが、それでもそのような部分が原因で皆が皆劣等感に苛まれてしまっているとかというと決してそのようなことはないのではないかと思うのです

例え容姿が整っていなくとも、運動神経が悪くとも、頭が悪くとも、社会的地位が低くともそれが原因で劣等感などには苛まれておらず「自分は価値がある人間である」というふうに感じることができているという方はたくさんいるのではないかと思うのですね

大事なのは現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方の多くは『欠点がある、他者よりも劣っている部分がある=価値がない人間である』というふうに考えてしまっているという部分なのではないかと思うのです

確かに人間である以上は特定の能力や容姿、社会的地位や年収などには優劣があるかもしれないのですが、それでも大事なのはこのような『人間としての優劣』を『人間としての価値の差』として考えないことなのではないかと思うのですね

自らの容姿が原因で劣等感に苛まれてしまっているというタイプの方は「容姿が悪い人間は人間としての価値がない」、自らの運動神経の悪さが原因で劣等感に苛まれてしまっているというタイプの方は「運動音痴で足の遅い人間は人間としての価値がない」などというふうに考えられているのではないかと思うのですが、このように『人間として劣っている=価値がない人間である』というふうに考えているからこそ劣等感に苛まれてしまうことになるのではないかと思うのです

我々人間は誰もが確かにそれぞれの能力や容姿、頭の良さなどには優劣があることだと思うのですが、それでも大事なのはそのような『人間としての違い』を『人間としての価値の差』として考えないことなのではないかと思うのですね

そして『今の自分を受け入れる』というのは例え自らに欠点がありその部分では他者よりも劣っているというふうに思っていながらも、それでも「自分は価値がある人間である」というふうに思うことなのではないかと思うのです

「容姿が悪い人間には価値がない」「運動神経が悪い人間には価値がない」「頭が悪い人間には価値がない」などというふうに考えていると『欠点がある=人間としての価値がない』というふうに考えてしまうことになるのではないかと思うのですが、大事なのは例えこのような欠点があろうともそれでも「自分は価値がある人間である」というふうに思うことなのではないかと思うのですね

そして例え特定の欠点や他者よりも劣っている部分があったとしてもそれを踏まえたうえで「自分は価値がある人間である」というふうに思うことができるようになれば、例え自分という人間が変わらなくともそれでも劣等感から解放されることができるのではないかと思うのです^^

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