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近年キックボクシング界で凄まじい活躍ぶりを見せていると言えば“神童”と呼ばれる那須川天心選手なのではないかと思うのですね^^

那須川選手と言えばキックボクシング史上最高の天才と言われており、現時点(2020年11月)でもプロの選手として40戦以上の試合をこなしているのですが、いまだ一敗もしていないのです。

さらに他の有名選手と言えばk-1のシンボルとも言える武尊選手、2020年9月に那須川選手との激闘を演じた皇治選手などがいるのではないかと思うのですが、それでも個人的には今後注目を浴びそうなのが“人獣”の異名で知られる中村寛選手なのではないかと思うのですね^^

近年はキックボクシングそのものがあまり注目されていないことから彼を知っているという方はあまりいないのではないかと思うのですが、個人的にはこれからスター選手になる1人なのではないかと予想しているのです。

ちなみに中村選手は1996年10月生まれであることから、2020年11月現在の時点では24歳とそれほど若いわけではないのですが、それでは一体なぜそれほど若くない彼が今後スター選手になると私は主張しているのでしょうか?

例えばまだ16~18歳程度の年齢であり、アマチュアで凄い戦績を残してきたからこそ今まで注目はされていないものの今後はキックボクシング界の中心になるというのであれば分かるものの、現時点で24歳とそこそこの年齢である彼が今は有名ではないものの今後はかなり注目を浴びる存在になるのではないかという主張は皆さんからしてみれば非常に違和感のあるものだと思うのです^^

そこで今回の記事では皆さんのそのような疑問にお答えするためにも、彼の経歴などについて詳しく見ていきたいと思います^^

まだ一般的な知名度はあまりない中村寛選手なのですが、この記事を見ればあなたもきっと彼に惹かれ、彼の虜になってしまうのではないでしょうか?

那須川天心の父も注目する期待の逸材

それでは早速中村寛選手について見ていきたいと思うのですが、前述したように中村選手はキックボクシングの選手として活躍されている方となっているのですね^^

現在は格闘技そのものがあまり注目されていないことから、ほとんどの方がこの中村選手をご存知ないことだと思うのですが、それでも格闘技界のなかでは期待の逸材として注目を浴びている存在なのです。

実際に那須川天心選手の父であり、那須川選手が所属する『TEPPEN GYM』の会長でもある那須川弘幸さんもジムのYouTubeチャンネルで「気になる存在」としてこの中村寛選手の名前を最も早く挙げているのですね^^

なんでも那須川弘幸さん曰く中村選手は「持ってるものがデカすぎる」「ヤバイ」「今後のRISEを引っ張っていく存在」「カリスマ性がある」とのことで、褒めちぎっていたのです(笑)

さらにその際に弘幸さんは「機会があればミットを持ちたい」というふうにおっしゃっていたのですが、実際にその後中村選手が『TEPPEN GYM』へと稽古に来ており、一時的にではあるものの中村選手を指導されていたのですね^^

あの那須川天心選手を二人三脚で育ててきた弘幸さんがこのようにおっしゃるのですから、相当才能のある選手であるということなのでしょう。

また弘幸さんがこのように語った動画では同じく『TEPPEN GYM』で活動されているトレーナーの方も出演されていたのですが、その方もまたある試合で中村選手を見たところ「会場全体が中村寛に呑み込まれている」というふうに感じたというのですね^^

幼い頃から那須川選手を指導してきた弘幸さんやトレーナーの方がそのようにおっしゃっているのですから、相当なポテンシャルがある選手ということになるのではないかと思うのですが、それではその中村選手の詳しい戦績は一体どのようなものとなっているのでしょうか?

実は調べてみたところ決して那須川選手のように『無敗』というわけではないようで、2020年11月現在の時点では『11戦9勝2敗』となっているというのですね。

この9勝はすべてKO勝利ということのようですが、その一方で2敗もしているのです。

まぁ普通に考えれば11試合もこなしているのですから、そのうち2回くらい負けることがあるというは当たり前のことと言えるかもしれないのですが、それでも那須川選手は少なくとも現時点で記録に残るプロの公式戦では『42戦42勝32KO』という記録を残していることから、那須川弘幸さんやトレーナーの方が絶賛する中村選手としては2敗というのは少し疑問に思ってしまうものとなるのではないかと思うのですね。

しかし実際にはこの2敗というのはいずれも中村選手にとって不利な状況で行われた試合のようで負けた2試合のうち1試合目は左手を骨折した状態で試合に臨み、2試合目は適正体重から10kgも上げた状態で試合に臨んだというのです。

2敗した試合のうち1試合目はryuki選手という方との試合だったようですが、この試合に中村選手は左手骨折という状態で挑んでおり、実際に映像を見てみても左手では一度も攻撃をしていないことが分かるのですね。

そのため彼は攻撃においては片手が使えない状態となっていますし、さらに拳が骨折していれば防御もままならないのではないでしょうか?

さらに正確な情報かどうかは分からないものの、実はこの時は右手も怪我をしていたと言われており、なんでも右手は『腱脱臼』という怪我だったと言われているのですね。

この怪我について調べてみてもいまいちよく分からなかったのですが、それでも怪我をしているという状態であればある程度右手にも制約がかかっていたことは言うまでもないことでしょう。

実際に試合の映像を見てみても右手では普通に攻撃していることから見ているだけでは怪我をしていたというふうにはあまり見えないのですが、右手に関しては「そういう噂もある」というぐらいに考えていればいいことだと思います。

いずれにせよ中村選手は試合においては攻撃という面では完全に左手が機能しない状態で戦っていたこととなるため、相当な制約のなかで戦ったと言えるのではないでしょうか?

さらに相手のryuki選手も優れた選手であったことから、中村選手がこの試合で敗れたのは、確かに記録としては一敗として残るものの彼の能力を正確に反映した結果とは言えないのではないかと思うのですね^^

続いては敗北した2試合目について見ていきたいと思うのですが、2試合目は宮城寛克選手との試合となっているのです。

この試合は決して中村選手は怪我をした状態で臨んだわけではないのですが、なんとこの試合では中村選手は適正体重から10kgも上げた状態で試合に臨んだというのですね(-_-;)

中村選手の適正体重は60kgとなっているのですが、その一方で対戦相手の宮城選手の適正体重は70kgとなっているというのです。

普通に考えればこれだけの体重差がある両者が戦うことなどまずないのですが、それでも中村選手は適正体重よりも10kgも重い状態で試合に臨んだというのですね。

まぁ結果的に中村選手が判定で負けることとなったのですが、それでもこれは実力差による敗北とはなかなか言えないのではないかと思うのです(-_-;)

もちろん自分で決断した結果であるため今になってから体重のことを言うなんてただの言い訳だ!というふうに思われる方もおられるかもしれないのですが、それでもなかなか10kg差というのは実力でどうにかできるようなものではないことでしょう。

実際負けた中村選手は体重のせいにはしていないのですが、それでも第三者の視点から見る私としては決して実力によって負けたとは考えられないのではないかと思ってしまうのです。

そのような経緯から考えるに中村選手は確かにこれまで『11戦9勝2敗9KO』という結果を残しているのですが、実質的にはすべての試合で勝利しており、そしてそのすべてをKO勝ちで収めているというふうに見てもいいのではないかと思うのですね^^

そしてそのような実力であるからこそあの那須川天心選手を鍛えた那須川弘幸さんも中村選手を見て唸っていることだと思うのですが、それでは一体なぜ中村選手はここまでの年齢と実力でありながら注目度が低いのでしょうか?

次章では中村選手の驚きの半生につて見ていきたいと思います^^

中村寛の半生

前章ではキックボクサーとして中村寛選手の実力について見ていったのですが、私が思うに彼が敗北を喫した2試合はいずれも中村選手にとってかなり不利な状況での試合であったことから、ハッキリ言うと彼のこれまでの戦績は実質9戦全勝と考えてもいいのではないかと思っているのですね^^

まぁこの辺りに関しては様々な意見があるのではないかと思うのですが、それでも個人的には中村選手はまだすべての試合において相手よりも実力が勝っていたのではないかと思うのです。

そんな中村選手なのですが、あの那須川弘幸さんが唸るほどの才能を秘めていながらもそれでもここまでそれほど知名度はありませんでした。

もちろん知名度が低いのはキックボクシングそのものがあまり注目されていないからというふうに考えることもできるかもしれないのですが、それでもあそこまで強く、さらに年齢も24歳であるにもかかわらずここまで一般的な知名度がないというのはなかなか不思議なことなのではないかと思うのですね。

それでは一体なぜ中村選手がここまでの実力を持っていながらもここまで知名度が低いのかということなのですが、その理由を解き明かすためにここまでの中村選手の人生について見ていきたいと思います^^

まずは小学校時代から見ていきたいと思うのですが、現在の中村選手は胸、左腕にタトゥーが入っているという非常に狂暴そうな外見に見えるものの小学生の頃は非常にいい子だったというのですね(笑)

中村選手は4歳の頃から極真空手を始めたというのですが、当初からずば抜けた才能を見せていたようで、小学2年生の頃には全国大会準優勝を果たしたというのです。

さらに彼曰く空手は中学まで続けたようですが、中学でも全国大会で優勝しているとのことなので、幼い頃の彼は小学校から中学校にかけて強豪選手として活躍し、日本国内では何連覇もするような選手だったのでしょう。

今の中村選手を見ると非常に怖い男性のように見えるのですが、それでも実際には当時は非常に真面目な子供だったようで、空手だけではなく勉強にも熱心に取り組み文武両道だったのだとか‥‥

しかし小学校高学年、すなわち小学4年生頃になると少しヤンチャな気質も芽を出し始めたようで、当時から少しずつヤンチャなことをするようになっていったというのです。

そのため中学生になると格闘技は依然として好きだったものの、それでもヤンチャな道に走ってしまい、勉強はまったくしなくなってしまったというのですね(-_-;)

なんとなく中村選手の風貌から察するに昔はヤンチャだったんだろうな‥‥というふうには思っていたのですが、やはり彼もまた腕っぷしも強いことからそのような道に進んでしまったということのようなのです(笑)

しかしその後喧嘩に明け暮れヤンチャな日々を送っていたものの、中村選手の兄が高校で日本拳法を始めたというのですね。

そして当時中学2年生だった中村選手もまた実際に日本拳法という武道をその目で見てみたようですが、その際目の当たりにした日本拳法という格闘技は素晴らしく一気に魅了されてしまったというのです。

普段から喧嘩をしていた中村選手だったのですが、日本拳法を目の当たりにすると「自分たちがしているような喧嘩よりも全然レベルが高く、日本拳法のほうが絶対に強い!」というふうに思い、すぐに「日本拳法をやりたい!」というふうに思うようになったというのですね。

しかし当時の中村選手はヤンチャをしており、さらに家庭も裕福ではなかったことから、高校で日本拳法をするためには全額免除のスポーツ推薦で入るしかなかったというのです。

さらに当時中村選手は日本拳法をやりたいと思っていたものの、その時にしていた格闘技は空手であったことから「日本一の選手しかスポーツ推薦してもらえない」という状態だったというのですね。

そのためどうしてもその高校に入りたいと思った中村選手は気持ちを切り替え、空手漬けの毎日を送るようになったというのです。

当時の彼は半年ほど死に物狂いで練習し、中学では空手の大会でことごとく優勝し、なんと7冠もしたというのですね‥‥(笑)

さすがは那須川弘幸さんが唸るほどの才能の持ち主‥‥と思わされてしまうのですが、そのような経緯から中村選手はめでたく全額免除のスポーツ推薦で高校に入ることができるようになり、高校から日本拳法を始めたというのです^^

中村選手曰く高校入学後もヤンチャな気質は抜けきっておらず多少はそのような面も残っていたようですが、それでも元々格闘技の才能はずば抜けていたことから高校でも実績を残し、有名な大学へ推薦で入学することができるようになったというのですね。

しかし実は大学入学後、中村選手は順調にキャリアを積み重ねることができず、2年生の頃には大学そのものを辞めることになってしまったというのです(-_-;)

中村寛が大学を中退した理由は?

続いては大学入学後の中村選手について見ていきたいと思うのですが、当然ながら中村選手は大学入学後も日本拳法を続けていたというのですね。

中村選手から大学名は明かされていないものの、本人曰く「誰でも聞いたら分かる東京の有名な大学」とのことなので、有名な大学に進学されたのでしょう。

そして中村選手は大学に入学するとなんと東日本個人戦でチャンピオンになったというのですね。

後から見ていくのですが中村選手は大学では1年2ヶ月しか日本拳法をされていないということなので、1年生のうちか2年生の初めの段階で東日本のチャンピオンになったということなのでしょう。

高校から日本拳法を始めたにもかかわらず、そのような早い段階で東日本で最も強いということはやはり彼の才能は群を抜いているということだと思います‥‥(笑)

しかし当時中村選手が所属していた大学の部活動は非常に上下関係が厳しかったようで、1年間は誰であれ「奴隷」にされるというのです。

要は先輩から良いように利用されるということなのでしょうが、中村選手のような才能のある選手でも奴隷にされるということだったので、実力関係なく先輩の身の回りのお世話をするようなことをさせられていたのではないかと思うのですね。

そしてそのような経緯から中村選手は大学入学後の1年間はその奴隷をこなしたようですが、彼は2年生になると「1年生にそんなことさせたくない」というふうに思ったことから、1年生と2年生の合同BBQを開催したというのです。

当時の中村選手は2年生のなかのキャプテンだったため、1年生と2年生に仲良くなってもらいたかったことから合同BBQを開いたというのですが、その際になんと1年生の1人が中村選手の顔面を思い切り殴ったのだとか‥‥(-_-;)

普通に考えれば中村選手の発言から考えるにそのような厳しい上下関係のなかで先輩を殴ればその1年生はそのあと大目玉を喰らうことになると思うのですが、それでも当時の中村選手は「こいつの気持ちも分かるから‥‥」とその後輩に対してやり返さずになだめたというのです。

今の中村選手の風貌からは考えられないような優しさとなっているのですが、それでも当時の中村選手はすでにヤンチャな気質が抜け、2年生のキャプテンということで責任感も感じていたのではないでしょうか?

そのような経緯から普通は中村選手がそのあと怒ってしばきあげてもおかしくないにもかかわらず、中村選手はその後輩のことを怒ることはなかったというのですね。

しかしその後輩はそのあと自分のやったことの重さを感じ、急にビビったのか夜のうちに荷物を抱えて寮から逃げ去ってしまったというのです。

するとその後輩の実家から大学のほうへと連絡が来て、その後輩の親が「うちの子が大学に戻れないと言っているんだがどうしてくれるんだ!」というふうに大学に対して激高してきたというのですね。

まぁ普通に考えればその手を出した後輩も悪いのですが、その一方で大学の体質にも問題があったのでしょう。

そのため普通は大学と保護者、当事者のなかで解決する問題のような気がするのですが、なんと大学側はその件の責任をすべて中村選手に押し付けたというのです(-_-;)

なんでも中村選手曰く周囲では中村選手がその殴ってきた後輩を怒ってボコボコにしたというような噂が流れてしまっていたようで、むしろ中村選手は親身になってその後輩をなだめていたにもかかわらずまったく逆の噂が流れてしまったというのですね。

その結果大学側はすべての責任を中村選手に押し付けようとしたのか、大学側からは中村選手に対して退部命令が出され、中村選手は部にいることができなくなってしまったというのです。

中村選手曰く当時は中村選手を辞めさせるためにこれまで大学で行われていたような悪事の多くを中村選手に押し付けられたというのですね。

例えば当時中村選手を含む同大学の日本拳法部の選手たちが住んでいる寮には様々な落書きなどがされていたというのですが、それらの落書きも中村選手のせいにされたのだとか‥‥(-_-;)

要は中村選手は後輩に対して手も上げてなければ寮に落書きなどをしたわけでもないにもかかわらず、それらを全部中村選手のせいにされてなんとか部活を辞めさせようとされたということなのですね。

さらに当時は裁判になったようで、このような濡れ衣を中村選手は着せられたというのですが、中村選手はそのような大学の対応に対して「もうええわ!」という思いとなり、大学を辞めることを決意したというのです。

しかしその話を聞いた中村選手のご両親が「濡れ衣を着せられたなら裁判で自分がやっていないということを証明しろ!」というふうに言ってきたようで、中村選手は裁判することを決意したというのですね。

その結果当然ながら最初から濡れ衣を着せられていただけの中村選手が負けるはずがなく、証拠も揃えていたことから、大学側は訴えを取り下げたというのです。

そのため中村選手のご両親も中村選手の汚名を晴らせたということで喜んでいたようですが、それでも中村選手は「和解でいい」と言い、最終的には和解したというのですね。

その理由が当時の中村選手は大学側からお金を貰ったとしても「いらんわ!」という思いだったことからとのことで、そのような経緯から和解することを選んだというのです。

さらに当時の中村選手は部活動はやめても大学に残ることはできたようですが、それでもその道は決して選ばなかったというのですね。

その理由は決して彼が勉強が嫌だったからではなく、スポーツの推薦で大学に入学したにもかかわらず、部活動を辞めて大学を卒業するのは利用しているみたいで嫌だったからなのだとか‥‥

さらに現在の中村選手の肉体を見てみると体にはタトゥーが入れられているのですが、このタトゥーはなんと格闘技以外の道を消すために入れたというのですね。

当時中村選手が通っていた大学では当然ながらタトゥーはダメであり、さらに一般の就職先でもまともな職場であればタトゥーがあるような方が働けるわけがありません。

それではなぜ中村選手がタトゥーをあえて入れたのかということなのですが、その理由はタトゥーを入れたことにより「大学に戻ることはできない。一般の就職先に就くことはできない」という状態になることから格闘技で食べていくしかない状態にするためだったのですね。

要は格闘技で食べることしかできない状態に自分をすることで、自分を追い込もうとしたということなのです^^

そのためあえて中村選手は左腕という服を着ても隠せない部分にタトゥーを入れることを決意したということなのですね。

その後大学を中退した後は格闘技をまったくしない期間が1年間あったようですが、それでも中村選手は空手とも日本拳法とも違うキックボクシングという分野で今ではプロの選手として活躍しているということなのです。

ここまで中村選手の半生について見ていったのですが、個人的な印象としては非常に男気のある選手であるというふうに思いました^^

強面で刺青の入った体であるにもかかわらず、後輩に優しいなどギャップもあったのですが、それ以上に驚かされたのはいい意味で頑固というところだったのですね^^

彼は今では大学に対してもまったく恨みは持っていないというのですが、それでも当時はこのような理不尽な仕打ちを受けたことから非常に悔しかったことでしょう。

しかしそれでも這い上がり今ではプロの格闘家として活躍されているのですから、彼は決して才能だけで成り上がってきた順風満帆な選手ではなく、屈強な精神力を持ちどん底から這い上がってきた選手と見ることができるのではないかと思うのですね^^

現在(2020年11月)は那須川天心選手があと数試合でキックボクシングから離れるというふうに発言されており、キックボクシング界全体の注目度が落ちるのではないかと個人的には思っていたのですが、新たにキックボクシング界のシンボルとして期待することができるのが中村寛選手なのではないかと思います^^

生まれ持った天賦の才に鍛え、様々な苦境を乗り越えてきたことで育まれてきた精神力を武器に、今後もキックボクシング界で“人獣”らしい活躍ぶりを見せてほしいものです^^

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